害虫であっても駆除をしない、それが自分の美徳

害虫であっても

小さい頃から嘘か真かわからない迷信をたくさん聞かされ続けてきた。夜爪を切ると親の死に目に会えないとか、お盆に海に入ると連れていかれるとか、ご飯粒を残すと目が潰れるとかだ。でも私の両親は夜に爪を切っていたけれど、ちゃんと親の死に目には会えていたし、むしろお盆の方が海に入っている人が多いし、給食のご飯をいつも残していた友達の視力は私よりもよかったし、なあんだ、全部嘘なんじゃないのと思っていた。だけど一つだけ、私は迷信とは言えないんじゃないかなと思うことがある。それは、朝蜘蛛は神様の使いだから殺してはいけないというものだ。

いつだったか、朝出た蜘蛛に驚き、殺虫剤で殺そうとしたことがあった。シューッと追いかけていたら、その蜘蛛は壁を伝ってドアの裏側に逃げてしまった。そんなところに逃げたってムダよ、とドアの裏を覗き込んだときのことだ。

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その蜘蛛が私にはホッとしているように見えたのだ。――頭がおかしくなったと思わないでいただきたい。私はいたって真面目だ。だけど本当にその蜘蛛がホッとしているように見えたのだ。どこいら辺を見てそう思ったのか、何故そう感じたのか、というのはうまく言い表せる自信はないけれど、私には確かにそう見えたのだから、そうなのだとしか言いようがない。とにかくその蜘蛛に、「人間らしい感情」を見出してしまった以上、私はその蜘蛛を殺すことができなくなってしまった。私はチラシを円錐状にしてその中に蜘蛛を掬い、外に逃がしてあげたのだった。

今でもあの時の蜘蛛は神の使いだったに違いないという確信が私にはある。そう思う以上、害虫であっても駆除をしない、それが自分の美徳であるとも思っているのだ。